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愛され主夫「ベッロともログ」美容・健康・ファション・雑記

須磨寺に行って来ました。

チャオ、ベッロともです。

須磨寺に行って来ました。

平家物語の一ノ谷合戦場です。

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平敦盛熊谷直実の物語があるお寺です❗


須磨寺は一ノ谷合戦で舞台になった場所で、源氏の陣地であったと伝えられています。


ちょっと長くなりますが❗
海側を陣地にした平家は 源義経に山から崖を馬で駆け下り逆落としの奇襲をかけられます。



不意を突かれた平家は、海へと逃げることしかできなかった。

ほとんどの平氏は海に逃がれたのですが、

その中で一騎、波打ち際で逃げ遅れた立派な鎧をきた平家の武者がいました。

それが平敦盛 でした。

そして、源氏の武将で熊谷直実はその逃げ遅れた敦盛に扇をかかげ「敵に後ろを見せるは卑怯なり。返せ返せ」と呼びかけます。

すると敦盛は振り返り、直実に一騎討ちを挑みます。

直実は百戦錬磨の武将でかなうはずもなく、あえなく倒され、直実が首をとろうと兜を取ると、なんと直実の息子と同じくらいの17才紅顔の美少年でした。

まるで私の高校生時代です。同時もイケメンです(笑)てことは、今もイケメン?☺️

「あなたの名前をお聞かせください」
と直実が尋ねると、逆に

☆私はこんなことは言わないですが。↓

「あなたはどなたですか」と聞き返され、「名乗るほどの者ではありませんが、熊谷直実と申します」と答えたところ、敦盛は「名乗るのはよしたしょう。あなたにとって私は十分な敵です。どなたかに私の首を見せれば、きっと私の名前を答えるでしょう。早く討ちなさい」と答えたそうです。

直実はその潔さに胸がつまりました。

熊谷直実平敦盛をうち取る時に、討死した我が子を思い出し1度ためらってしまいます。

まだ16か17才ぐらいのまだ若い敦盛を助けたいと思いを巡らせました。

敦盛の命を討とうが討とまいが戦の勝ち敗けには関係ないが、助けたいと思った直実は後ろを振り返ると、梶原景時ら味方の軍勢がすぐそこまで近づいてきます。

もういよいよ逃げられまい。

「同じことなら、直実が手にかけて、後のご供養をお約束します」と泣きながら刀を執りました。

討ち取った首を武者の鎧で包もうとすると、その腰に一本の笛が挿してあるのに気づきます。

思えば今朝方、平家の陣から笛の綺麗な音色が聞こえてきて、源氏の武将は皆感動しました。

その笛を見た時、「あぁ、まさにあの笛を吹いておられた方はこの方だったのか。戦いに笛をお持ちとは、なんと心の優しいお方であろう」と直実の心はいっそう締め付けられました。

陣地であった須磨寺に首と笛を持ち帰った直実は、大師堂前の池でその首を洗いました。そして、その松の木の根方に腰かける義経が首実検を行いました。
義経は、敦盛が平清盛の甥であるとおっしゃいました。

享年17才でありました。

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持ち帰った笛を見て、涙を見せない者はいなかったといいます。

敦盛の笛は青葉の笛と呼ばれ、今も須磨寺宝物館に展示されています。

この笛を1度でいいから見てみたいと、古来より全国各地から多くの方がこのお寺を訪れます。

切ない物語ですが、今の時代じゃなくて良かったです。


しかし、ながら温泉の行きしなに立ち寄っただけなので、「青葉の笛」は見に行けませんでした。

またの機会に見に行きます。

他には、こんな綺麗な場所もあります。

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もっと歴史のことが知りたいと思いました。歴史のある場所に行ってみたいと思います。😎